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2017年08月18日

帰省3

15日は午前中、次男のリクエスト、大和ミュージアム。
4年前に何か見落としたものがあるらしい。
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今回は特別展示があった。
それは呉市の潜水調査の成果。

前回なかった南の海に眠る大和の姿だった。
大和は二つにちぎれ、200m四方に散らばって沈んでいる。

乗員3332名のうち生還者は276名。
その中の清水少佐の手記が展示してあった。
大和がいかにしてサンドバック状態で魚雷を受け
沈んで行ったか。
そして少佐がどうのようにして助かったか。
大和が沈むのとともに海中に引き込まれ、
大和の爆発で海面に押し戻された。
海面に出た時には、わずかな生存者だった。
少佐は後に戦闘詳報に懲罰を覚悟で参謀本部の
この無謀な作戦を断罪している。
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第2艦隊司令長官伊藤少将は、レイテ沖海戦後
数えるほどになった艦隊、その艦隊をまともに動かすことが
出来るほどの燃料もない状況を鑑み、
艦隊を解散し、人員をと艦船を本土防衛に回すことを
連合艦隊上層部へ具申する手はずを整えた。
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しかし時すでに遅し。
草野中将から信じられない作戦命令を聞く。
大和をはじめとする第二艦隊を特攻兵器として利用するというのだ。
伊藤司令長官は最初は拒否したが、
大本営の正式承認の作戦であることを理由に聞き入れない
草野中将にどれだけ反論しても無駄だと悟った。

そして死への旅立ち。
雲霞のごとく群がる3回にわたる敵機の攻撃にさらされ
反撃という反撃もできないまま左舷に魚雷を集中され
2時間後大和はその時を迎える。
伊藤司令長官は総員退艦を決意した。
大和の出撃は特攻作戦で、乗員の生還はありえない。
そんな中で伊藤長官は独断で部下の退艦命令を下した。
この決断で清水少佐をはじめとする276名の命が助かるのである。

そして自身は生存者の脱出を見届け艦長室に籠り自決、
大和とともに鹿児島県の南、坊の岬沖の海底に沈んだ。
この無謀な作戦でも多くの優秀な軍人が死んでいった。

10分の一のスケールの大和の展示室の隣には
人間魚雷「回天」が展示されていた。
神風特攻隊とともに大本営の狂気の作戦で散って行った若き命。

生き残った人々は必死で日本の再興のために身を粉にして働いた。

何とかフライデーだの週休3日だの
わたしは時代遅れなのかもしれないが
どうにも受け入れがたい。
今の日本を、空の上からどう思って見ているのだろうか。

知覧でもそう、靖国神社の遊就館でも、そしてここでも、
あの戦争で散って行った人たちに日本人としての
本物の矜持というものを感じる。
我々の世代は次の世代にどんな日本を残していけるのか?
これから大人になっていく若者に、本物の教育をしたい。
偏差値だけ高くて、人としての心がない、
自分のことだけしか考えない、似非エリートだけは
育てたくない、そう思う。
本物のエリートとは、自分の人生を賭して
社会のために人のために働ける人だと思う。

明治が始まったころ、むか〜し昔の政治家、官僚は優秀だった。
今は・・・?

posted by scarecrow at 12:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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