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2017年11月23日

退院しました(前立腺肥大手術体験記)

50才前後から、お酒を飲むとおしっこの出が悪くなった。
7,8年前こと、京都でコーチ仲間と飲んでいた。
3件目の店でトイレに行けど出ない。
何回も行くが出ない。
お腹がパンパンになって苦しくなってきた。
事務長に電話をして状況を伝える。
病院へ連絡を取ってもらう。
京都から新幹線で帰った。
岐阜駅まで迎えに来てもらい、真っすぐ県病院へ。
車のわずかな振動でさえ苦しくて、
駅から病院までずっとうめき続けていた。

病院でベッドの上で導尿処置をしてもらった瞬間から
それまでのまるで重病人が、何事もなかったの様に…。
出たのはなんと900ml。

翌日病院で診察を受けた結果が
「前立腺肥大」
そしてガンの疑いもあるとか。
それは腫瘍マーカーの数字が5を少し上回っていたこと。
4以下だと陰性らしい。
以降定期的に通院し薬をもらって、腫瘍マーカーの検査。
薬は前立腺肥大を治す薬ではない。
症状緩和の薬、簡単にいえば、おしっこをでやすくする薬。

翌年の夏、やはりコーチ仲間と名古屋で飲んでいた。
ビールをガンガン飲んでいるうちにアレアレ?
またやってしまった。
事務長に電話して前年同様県病院へ。
それから毎年一回の割合で昨年まで都合6、7回病院でお世話になった。
そのうち1回は東京出張時にやって、臨海病院でお世話になった。
何回目の時か、付き添ってくれた二女に
「お父さんは高いトイレ代を払ってる」
と言われる始末。

夜中に何度も目が覚める。
1回で出切らない。
廊下を行ったり来たりうろうろ歩いて
またトイレに入る。
これを3回繰り返し布団に入る。
完全に目が覚めてなかなか寝付けない。
寝たと思ったら、またおしっこへ行きたくて目が覚める。
毎夜2〜3回そういうことがあれば寝た気がしない。
毎日夕方4時ごろにはキーボードの前で夕寝。
電車に乗る時は2両目か9両目。
そう、トイレのある車両の近く。
研修会などでも休憩の度にトイレへ。

2年前からは事務長からしきりに
「お父さん、いい加減手術したら!」

インターネットでどんな手術なのかを調べる。

昔は開腹手術。
かなり前からは内視鏡手術。
電気メスで内側から前立腺をそいでいく(TURP)。
これは出血が多く、術後カテーテルを入れておく期間も3,4日。
入院期間は10日ほど。
今ではレーザーを使って、前立腺をくりぬく方法(Holep)と、
最新の方法はレーザーで焼くというか蒸散させる方法(PVP)。
さらに調べると、PVPが術後の痛みも少なく退院も早い。
欧米では日帰りもありとか。
しかし、手術の前には腰椎麻酔が…。

これに私は腰が引けていた。
「背骨の間に注射をするなんて
 きっとメチャクチャ痛いに違いない」

事務長曰く
「ちょっとの間我慢すれば、今の辛さがなくなるんでしょ!
 手術すればいいじゃない、お父さんは本当にビビリなんだから」
言われて何も反論できなかった。

それから2年、意を決して友人、塾生に言いまくった。
「9月に手術をする」
そう宣言することで、自分を逃げられなくするために。
薬を飲んでも現状は良くならない。
死ぬまで飲み続けるくらいなら思いきろう。
そして9月8日にPVPを日本で初めて実施し、
日本で一番術例が多い、名古屋セントラル病院へ。

HPで見た黒松医師に診察を受ける。
検査の結果、黒松医師
「通常20mlくらいの大きさなんですが、
 山田さんのは79mlありますね。
 通常90分くらいで手術は終わるんですが
 2時間はかかりますね。全身麻酔でやります。
 寝てる間に終わりますよ」
検査の結果、残尿量は100ml。
これでは頻尿になるわな。
普通は250〜300mlで我慢できなくなる。
毎度100ml残っていたら、すぐにたまってしまう。

手術は9、10月は先生の手術の予定がいっぱいで
11月までできないとのこと。
そして翌週に再度行って、11月22日を予約する。
前日の21日に術前検査のため入院し、手術後2日間の入院。
3泊4日の予定で月曜日にセントラル病院へ。

術前検査では採血、心電図、そして内視鏡検査。
内視鏡を膀胱まで入れていく。
尿管をふさぐ肥大した前立腺。
そして膀胱へ。
血管が非常に多い。
少しデコボコしているようにも見える。
先生曰く
「通常膀胱内はツルっとしているんですが
 山田さんのはすこし起伏があるでしょ?
 今まで頑張ってきたんでしょうね、少し疲れています」

そして内視鏡の先を180度曲げて膀胱の入り口を見せてくれた。
なんと、肥大した前立腺が膀胱を押し上げて盛り上がっている。
これでは100ml残るのは無理もないなと思う。

診察室へ移動して、黒松先生が微笑みながら
「山田さん、後は任せて下さい」
この一言で、不安だった気持ちがスキッと晴れる。

22日朝8時半、手術のための点滴注射が始まる。
そして9時前にいよいよ看護師さんが迎えに来る。
事務長が「頑張ってね!」
TVでよく見る、点滴をぶら下げる金属パイプの
点滴スタンドをおしながら看護師さんと手術室へ向かう。
先生が私を見て、ニコッと笑ってうなづく。
「先生、お願いします」

手術室に入る。
看護師さん、麻酔の先生他数人の方がいた。
そして広々とした空間に手術台、
そして様々な機械類、器具などが…。
さすがに緊張して鼓動が速くなる。
ふと思う。
「無機質な空間だから緊張してしまうんだろうな。
 壁と天井一面にアンパンマンの絵でも書いてあれば
 少しは緊張が和らぐのにな。」

酸素マスクがかけられる。
思い切り深呼吸してみると息が苦しい。
看護師さんに
「息が苦しいのですが」
看護師さん
「山田さん、普通に息をしてください」
言われる通り、普通に息をすると苦しくない(笑)

そして麻酔の先生が
「山田さん、麻酔のお薬を入れますね。眠たくなりますよ」

年長さんのとき、盲腸の手術を受けた時はガス麻酔で
6つ数えてから意識がなくなったが、
今回は瞬殺。
映画で見たターミネーターが壊れて
パシャっとグリーンぽい視界が落ちた時のような感じ。

それから2時間半後
「やまださん」
と呼ぶ声に目覚めた。
「あ、終わったんだ」
それから3階の手術室から8階の部屋に戻った時のことは
何やらぼんやりとしか覚えていない。
部屋に戻り看護師さんに
「名前を言って下さい」
と言われ、なんとボーッとした意識の中でジョークを言ってしまう。
「安倍晋三です・・・いや、やまだかつとです」
後から振り返ると、こんなときでも寒いオヤジギャグを飛ばす自分に
冷や汗が出る思い。
横にいた事務長の表情は分からなかったが、
きっとあきれた顔をしていたと思う。
あ〜この性格何とかならんか?
ホントに日本一のアンポンタンだな。

術後は膀胱にカテーテルを入れられ、おしっこは出っぱなし。
看護師さんが来るたびに、どんな色か見せてもらえますか?
なんだろうケチャップを薄くしたような感じかな。

夜、看護師さんに「少しは動いていいですよ」
と言われたものの、少しがどのくらいかわからず
なるべく動かないようにしていたら腰が痛くて・・・。
うとうとしていたかと思うと目が覚めるの連続で、辛い一夜。
夜中に痛み止めの座薬を入れてもらう。

8時ごろ、看護師さんにカテーテルを抜いてもらう。
前日から看護師さんに「男の人の場合はかなり痛い」
と脅かされていたので体に力が入ってしまったが
案外思ったよりも痛くなくほっとする。

その後の先生の回診で「動いてもらって全然良かったですよ」
あ〜、寝返りもできたんだ、横を向いて寝てもよかったんだ、
ちゃんと聞いておればよかった、と後悔する。

入院3日目、術前来なくていいと言っておいた
飯田の姉が見舞いに来てくれる。
事務長、次女も来てくれて4人で2Fのレストランで談笑。

入院4日目の朝、休日で別の若い先生が回診に来てくれた。
「黒松先生はプロ中のプロですから、大丈夫ですよ!」
支払いを済ませ、事務長の運転で病院を後にする。

術後のおしっこの出方は?というと
若い頃はこんなんだったな、ということを思いだした。
しかし、2日目の午後〜3日目にかけて、
あんなにTVを見て、また寝たのは何十年振りだろう?
(正月を除いて)

ありがとう、セントラル病院。
DSC_8814.JPG

ありがとう、黒松先生。
1ヶ月後の診察の時に、
良い結果を報告できることが楽しみです。


もしこれを見ている方の中で、肥大症で悩んでいる方
早く診察に行って、手術してもらった方が絶対にいいです。
本当にこの数年間、辛い思いをしながら何を迷っていたのか。
わずかの我慢で、以降の人生が楽になる!

posted by scarecrow at 20:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月07日

イタッ!

13時から高山市民文化会館で
保護司の顕彰式に出席。
式.JPG

15時前に式は終了し、17:15分の授業に間に合うように
道を隔てた駐車場に急ぐ。
道路は工事中だった。
道を横断しようとすると何かにつんのめって
両手をつき左の膝をついた。
「イタッ」と思うと同時に「やってしまったか?」

案の定スーツのズボンが・・・。
破れ.jpg

工事中の道路に段差がついていた。
それに気づかず躓いてしまった。

手足の痛みよりも、お気に入りのスーツが
お釈迦になったことの方が・・・痛いな〜。
posted by scarecrow at 22:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月02日

まさか…の同窓会

先日の富美丘高校のことを書いた時に
同窓会の事を書いたが、土曜日予定通り大阪へ行ってきた。

高校時代仲の良かったHが幹事で、諸事情により、
事務長へ参加要請があり夫婦で参加。

北新地の小料理屋で5時〜8時の貸し切り。
ビールを飲んで、うまい日本酒を飲んで
話は弾み、ゴ・キ・ゲ・ン。

IMG_20171005_0008.jpg

会も終盤7時半過ぎ、私はトイレに行った。
この後、信じられないことが起きた。

戻ると友人Kが通路にあおむけに。
「飲みすぎか?」
友人たちが名前を呼んでいる。
おかしい・・・意識がない。
ベルトをはずし、靴を脱がせ心臓マッサージをする。
次第に手は真っ白に。
呼吸がない、心臓が動いてない、119に電話をする。
救急隊員の方が駆け付け、心臓マッサージを代わる。
AEDを使う。
病院に搬送。

幹事のH夫妻が付き添い、私は皆と待機。
しばらくしてダメだったとの電話が入る。
そこで本日の解散を告げ、私と事務長は病院へ。
H夫妻は警察の事情聴取を受けていた。
私と事務長も誰がどこに座っていたのかの確認をされる。
事件性がないのですぐに終了。

しかし、目の前でさっきまで飲んでいた友人が逝くなんて。
人生何が起きるかわからない。

人は「おぎゃ〜」と生まれた瞬間に、
それがいつかわからない死刑宣告を受けている様なものだが
まさかこんなことが起きるなんて…。

最終電車に間に合わなくなったので大阪に泊まる。
日曜は愛媛から参加した5人の見送りに
二日酔いの頭を抱え江坂のホテルへ行く。
そして岐阜へ。

1時からは野球の試合、今期最終戦。
ここ2,3年5分の星の相手。
投手戦、1-0で辛勝。
本当に点が取れ得ない。
後期の後半4戦は…1-6、1-2、2-2そして1-0。
ピッチャーが完封しないと勝てないような状況。
来年こそは何とか胴上げしてもらおう〜っと。
posted by scarecrow at 13:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月18日

帰省3

15日は午前中、次男のリクエスト、大和ミュージアム。
4年前に何か見落としたものがあるらしい。
ヤマト.jpg

今回は特別展示があった。
それは呉市の潜水調査の成果。

前回なかった南の海に眠る大和の姿だった。
大和は二つにちぎれ、200m四方に散らばって沈んでいる。

乗員3332名のうち生還者は276名。
その中の清水少佐の手記が展示してあった。
大和がいかにしてサンドバック状態で魚雷を受け
沈んで行ったか。
そして少佐がどうのようにして助かったか。
大和が沈むのとともに海中に引き込まれ、
大和の爆発で海面に押し戻された。
海面に出た時には、わずかな生存者だった。
少佐は後に戦闘詳報に懲罰を覚悟で参謀本部の
この無謀な作戦を断罪している。
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第2艦隊司令長官伊藤少将は、レイテ沖海戦後
数えるほどになった艦隊、その艦隊をまともに動かすことが
出来るほどの燃料もない状況を鑑み、
艦隊を解散し、人員をと艦船を本土防衛に回すことを
連合艦隊上層部へ具申する手はずを整えた。
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しかし時すでに遅し。
草野中将から信じられない作戦命令を聞く。
大和をはじめとする第二艦隊を特攻兵器として利用するというのだ。
伊藤司令長官は最初は拒否したが、
大本営の正式承認の作戦であることを理由に聞き入れない
草野中将にどれだけ反論しても無駄だと悟った。

そして死への旅立ち。
雲霞のごとく群がる3回にわたる敵機の攻撃にさらされ
反撃という反撃もできないまま左舷に魚雷を集中され
2時間後大和はその時を迎える。
伊藤司令長官は総員退艦を決意した。
大和の出撃は特攻作戦で、乗員の生還はありえない。
そんな中で伊藤長官は独断で部下の退艦命令を下した。
この決断で清水少佐をはじめとする276名の命が助かるのである。

そして自身は生存者の脱出を見届け艦長室に籠り自決、
大和とともに鹿児島県の南、坊の岬沖の海底に沈んだ。
この無謀な作戦でも多くの優秀な軍人が死んでいった。

10分の一のスケールの大和の展示室の隣には
人間魚雷「回天」が展示されていた。
神風特攻隊とともに大本営の狂気の作戦で散って行った若き命。

生き残った人々は必死で日本の再興のために身を粉にして働いた。

何とかフライデーだの週休3日だの
わたしは時代遅れなのかもしれないが
どうにも受け入れがたい。
今の日本を、空の上からどう思って見ているのだろうか。

知覧でもそう、靖国神社の遊就館でも、そしてここでも、
あの戦争で散って行った人たちに日本人としての
本物の矜持というものを感じる。
我々の世代は次の世代にどんな日本を残していけるのか?
これから大人になっていく若者に、本物の教育をしたい。
偏差値だけ高くて、人としての心がない、
自分のことだけしか考えない、似非エリートだけは
育てたくない、そう思う。
本物のエリートとは、自分の人生を賭して
社会のために人のために働ける人だと思う。

明治が始まったころ、むか〜し昔の政治家、官僚は優秀だった。
今は・・・?

posted by scarecrow at 12:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月17日

帰省2

14日は朝から毎年のお約束、母の実家のお墓掃除。
県道から結構きつい坂を100mくらい登る。
私は母にこの坂を登れるよう、毎日歩くように言ってある。

90にしてまだまだ頑張って坂を登る母。
あと何回母とここへ来れるだろうかとふと思う。
目一杯汗をかいて掃除終了。

海では次男が甥姪たちの子供たちと泳いでいた。
というか、ヤスで魚をついていたが
次男につかれるようなボーッとした魚はもちろんいない。

昼ご飯を食べた後、呉へフェリーで渡るために松山観光港へ向かう。
呉について、鉄板焼き屋で広島焼き等を食べて就寝。
posted by scarecrow at 13:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
最後まで読んでいただきましてありがとうございました